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​毛髪復活を目指す戦士

The Bushy

ー宣誓ー

私 "The Bushy" は、

薄くなってしまった頭部に

ふさふさとした毛髪が復活するその時まで

正々堂々 最後まで戦い抜くことを

誓います。

ー​2015年1月 吉日ー

こんにちは。


毛髪復活を目指す戦士 "The Bushy" と申します。

ニックネーム"The Bushy"の由来ですが、英語で"bushy"という単語は「(毛が)ふさふさした」とか「毛むくじゃらの」という意味だそうで、何とか髪の毛を復活、再生させて、そのような姿になりたいなぁ、という願望から名づけました。

昭和37年に、神戸という港町で生を受けました。神戸という街は、海と山が隣り合う風光明媚な街で、特に六甲山系から見下ろす神戸の街はとてもすばらしいものです。

子供の頃は、市中に路面電車が走り、その電車の座席に靴をぬいで車内に背を向け、窓から外を眺めるのがとても好きでした。乗り心地がいまひとつ良くないのですが、そのガタンゴトンというゆれが、また良い感じでした。

 

 

 

 

小学校の運動会は5年生が騎馬戦、6年生が棒倒し(棒上旗取り)で、中学校に入ると、男子は全員、頭髪は丸刈り、という時代でした。現代の世相から考えると、なかなか想像がつきにくいかも知れませんね。軍隊のようかもしれませんが、当時は、それが当たり前であまり疑うことも無く、毎日、面白く過ごしたように思います。時代は、高度経済成長期からオイルショックへ、という時代でした。

高校、大学と神戸で過ごした後、就職で上京します。

渋谷区にアパートの1室を借り、東京で生活を始めると、東京の大きさにいつも驚いていました。山手線の各駅に、神戸のような繁華街があるのです。そして、何より言葉が全く違いました。

言いようの無い違和感を感じながらも、少しずつ、東京の生活になじんでいったように思います。

30歳で、結婚し、埼玉県の地方都市に居を構え20余年になります。

毛髪についてですが、子供の頃から青年時代にかけては、多毛で毛が多すぎるのが悩みでした。

ところが、30歳を越えたあたりから「あれっ」と思うことが多くなり、時を追って頭頂部から徐々に薄くなり、45歳を迎える頃は、かなり薄くなっていました。


この頃、1度、育毛剤を使用したことがありましたが、ほとんど効果が無かったように思います。それもあり、「育毛剤なんて効果が無い」「年齢だから仕方が無い」と半ばあきらめ、抜け毛対策は何もしませんでした。

50歳を迎えたころには、頭頂部にほとんど毛は無く、立派なハゲ頭が出来上がっていました。どう表現してよいか適当な言葉が見つかりませんが、ある時、自分の頭を鏡で見て、寂しさと情けなさを感じたことを覚えています。

「このまま、年老いて、髪の毛の無い人生を送っていくのかぁ。」

そんな頃です。インターネットで、AGA治療について書かれた記事を見ました。


「髪の毛が生えるなんて、そんな上手い話、あるわけないじゃないか。」
そう思う反面、多くの方々が、写真付きで毛髪再生の体験記を書かれています。そして、これが本当に信用できる内容でした。

そのうちのある記事を読んでみると、自己責任ながら海外から個人輸入で薬を輸入し毎日飲むことにより、3ヶ月から6ヶ月で発毛効果が現れるとのこと。しかも、薬の価格は、1日あたり100円もしません。

 

これなら、経済的にもあまり負担がありません。以前、試してみた育毛剤とは違い、飲み薬という点も興味をひきました。

「50歳を超えれば、人生は儲けもの。やって失敗しても失うものなど何も無いじゃないか。だって、髪の毛はもう無いのだから。それなら、試しにもう1度、毛髪再生をやってみよう。」

そう決意すると、いてもたってもいられず、インターネットで薬の注文をしていました。

52歳の冬、ここに「毛髪復活を目指す戦士 "The Bushy"」が誕生しました。

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